行け荒野を

元ネタは『力石徹のテーマ』の歌詞です

つらい

埼玉の立てこもり事件のことがあまりにもいたましくて、そのことを考えてしまう。

外来などで継続的に診療している医師はみな、何人かトラブル患者を抱えていると思う。こちらの説明を曲解して激高する人。過度に要求して思い通りにならないと怒鳴る人。

ニュース記事で加害者の「謝らせたかった」という言葉を見て、ああ…と思った。こちらが謝らないと気が済まない人、そういう人は実際にいる。あなたが怒っていること、それはあなたの思い違いであるということを言葉を尽くして説明しようとしても、「その態度はなんだ、こっちはこれだけ怒っているんだからまずは謝れ」という人がいる。こちらとしても自分に非がないことは謝るわけにはいかないのだけど。

こちらが仮に謝ったとして、謝られた患者さんがどう行動するかは人それぞれだけど、“謝らせたい”という気持ちが強いひとは謝るとその場ではおさまることが多い。そして、謝ってひとまずおさまると、その関係性がずっと続いてしまうのだ。その患者が来院するたびに、職員全員が気を遣って対応するのだが、それでも何らかの気に入らない点を見つけて怒鳴る。そういったことが繰り返される。

なら謝らなければいいのでは?と思うかもしれない。実際そのように毅然と対応することもある。それで、患者さんは自ら離れていってそれで終わるかもしれない。しかし、なかには謝らなかったことを、その謝らなかった内容ごと(たとえば、その主治医のせいで病状が悪くなったと思いこんだままだったり)恨む人もいるだろう。

つまり、謝らずに恨まれるかもしれないし、謝って診療を続けていった先に結局どこかでこちらの想像できない理由で恨まれる可能性もある。

自分に非がないこと、予想もできないことで恨まれるのは、自分がいくら考えたところで防ぎようがないから、自分の身を守ることを考えるしかない。でも、自分の身を守るよりも、仕事と責任をはたすことを優先して自ら出向いた人がそれゆえに殺されてしまったのは本当にやりきれない。